「日本武尊(ヤマトタケルノミコト) 伝説」(山ちゃんのブログから頂きました)


日本武尊(ヤマトタケル)は、生まれ持つ神かがり的な力で古代日本国土を平定し、天皇家の国土の支配体制を固めました。 古事記・日本書紀の世界では、日本を代表する英雄です。しかし、その栄光多い業績の反面、倭建命の人生は悲劇そのものです。 日本武尊は景行天皇の皇子の一人で、彼の物語は古事記中巻の景行行に収録されています。彼は国土を平定した英雄でありながら、 栄光多き業績の反面、悲劇の人生の繰り返しでした。美しい外見とは反対に、生まれ持つ強大な力や、乱暴な気性に周りの者はおろか 実の父親(景行天皇)にすら恐れられていたほどです。父の寵愛を得られないのみならず、自分の死を望む父である天皇の手により破滅 への運命を歩まされます。日本武尊は、孤独な闘いを運命的に背負い、翻弄された果てに異郷の地で朽ち果てる事となるのです。 日本武尊の命運を悲劇の方向にし向けたのは実の父の景行天皇自身です。日本武尊の力を恐れた天皇はまず日本武尊に旧敵である 「出雲一族の討伐」を命じます。この命令の裏には日本武尊の戦死を望む天皇の意図がありました。ところがそんな天皇のおもいは とげられません。日本武尊は、一人で出雲の地を平定して無事帰還するのです。日本武尊が、その地に赴いた時、出雲一族の豪 傑出雲 建兄弟は宴会を催していました。そこで日本武尊は女に化け、出雲建に近づきました。そして彼らの気を引き、出雲建の側へ近づくや否 や斬り捨てました。女装すれば、周りにいる本物の女達よりも美しかったほどの美男子でした。出雲建は女好みが命取りとなります。「 日本書紀」にも「容姿端正し」とあり、日本武尊の美男子ぶりは、公認されています。出雲建は日本武尊に殺されるとき、「たける」と いう一番強い者にのみ許すされる自分の名を与えたのです。「日本武尊」という名は、〈やまとの一番強い男〉という意味で、出雲建日 本武尊の武勇への尊敬と畏怖の念を以て与えられた名前なのです。  せっかく、無事帰還した日本武尊でしたが、景行天皇はますます彼を忌み恐れる様になっていきます。日本武尊をねぎらうこともなく、 無理難題を与えます。「朝廷に従わぬ東の神々を一人で征伐して来い」と非情な命令を下しました。当時 東国は、強豪ひしめくとても 危険な地域でした。この非情な命令に「吾既に死ねと思ほし看すなり」と自分の父天皇の真意に涙するのでした。そんな日本武尊を案じ、 叔母ヤマトヒメは、スサノヲ尊のヤマタノオロチからえた御神剣、天群雲御剣を授けました。日本武尊は、心をとりなおし、国造りのた め、御剣を携え東征へ向かいました。その先に日本武尊の深い悲しみと終焉が待ち受けているとは、誰が知っていたでしょう。  日本武尊の東征物語では、、焼き討ちにあった時に天群雲御剣で草を薙いで窮地を脱したという有名な物語があります。〈天群雲御剣 は、草を薙ぎって災難を逃れた時、草薙の剣と追銘されました〉。東征は窮地の連続でした。走水神の折には妻を日本武尊を慕ってつい てきた弟橘比売(オトタチバナヒメ)も失ってしまいます。愛する妻である弟橘比売が、その命を犠牲としたとき「あづまはや」と心が はちきれんばかりに泣き叫びました。そこから、東国を、【あづま】と呼ぶようになりました。そんな激闘の東征の中で命は尾張の豪族 の娘である美夜受比売(みやずひめ)と出逢いがあります。日本武尊は、彼女と結婚の約束をします。まずは敵を倒してからと、激戦を繰 り返し、やっとの想いで、生還します。犠牲は払ったものの何とか蝦夷を治めたのです。日本武尊は約束通り美夜受比売の元に戻ります 。美夜受比売の元に還ってみると、彼女は月経の真っ最中でした。日本武尊は歌います。   ひさかたの 天の香具山 利鎌に さ渡る鵠 弱細 手弱腕を 枕かむとは 我はすれど さ寝むとは 我は思へど 汝が著せる 襲 の裾に 月立ちりにけり   とうたひたまひき。これに美夜受比売、御歌に答へて曰く、  高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経れば あらたまの 月は来経往く 諾な諾な 君待ちがたに 我が著 せる 襲の裾に 月立たなむよ  とうたひき。故、ここに御合いしまして…・・  「月立ち」ちは、月経の事です。日本武尊が蝦夷征伐を終え、結婚の約束をした美夜受比売の元に還ってきたとき、美夜受比売の着物の 裾に血が付着していたのを見て日本武尊が歌を歌い、それに美夜受比売が答えたのがこの問答歌です。当時、女性の月経は不浄なるものと 思われていました。美夜受比売は「ずっと待っていたのにあなたが来るのが遅すぎたから」と倭建命を返し歌で責めています。  ところが、倭建命は美夜受比売を強引に抱き寄せ、契りを結んでしまったのです。それが禁忌な行為だと知りながら…・・。  このことが、日本武尊の運命を終焉に導きます。朝となって、日本武尊は草薙御神剣を美夜受比売の枕元に置いて次の戦いへ臨みました。 伊吹山の神との闘いです。百戦百勝の倭建命に魔がさしたのです。大切な守護御剣を女のもとに置いていくとは…・・。日本武尊は、死の 間際に「あの時草薙さえあれば...!」と草薙御神剣を置いていった事を後悔します。  日本武尊は思いがけない魔力に足を煩い、とうとう一歩も動けぬ体になってしまいます。いよいよ終焉の間際、日本武尊は辞世の歌を詠 みます。日本武尊は、国を偲びます。    大和は国のまほろばたたなづく       青垣やまこもれる大和しうるわし  こうして倭建命は、孤独にその短い人生(30歳位)を終えました。しかし、彼の魂霊は美しい一羽の白鳥へと姿を変え、大空へ羽ばたい ていったのです…・・。 こういう伝説はいいですね。そうしたことは桃太郎伝説に繋がるところがあるのではないでしょうか。