<<養老伝説>>
養老山といえば、養老の滝、孝子伝説が有名です。
霊亀3年(717年)、奈良朝元正女帝は、この地を訪れ霊泉で体を洗われると、ご病気が全快しました。
帝はこれをお喜びになり、年号を養老と改めました。この話はあまりにも有名です。
「よーろー」の名はもともと養老の滝のまわりにあり、奈良期に養老の当て字がなされたようです。
「よーろー」とはゆるやかな坂を示す地名で、全国14県、30ヶ所以上にあります。
養老の滝は、江戸時代の美濃の3大名所のひとつでした。
そして養老郡養老町の名は明治22年(1889年)の養老村の誕生に由来します。
その養老が、次のような孝子伝説とつながりました。
美濃の国に、源丞内(げんじょうない)という貧しい若者がいました。
丞内は、老父を家に残して山へ「まき」を拾いに行き、それを売って米や父親のための酒を買うのが日課でした。
老父は、目が不自由で日々酒だけが楽しみでした。
ある日、丞内が山の中で転んで眠ってしまったところ、夢の中で酒の匂いがしました。
目がさめると、香り高い酒が湧き出る泉がありました。
丞内は喜んで、老父にその酒を与えました。すると老父の目が見えるようになるではありませんか。
酒の泉は、不自由な体を直すということで有名になりました。
それが帝の耳に達し、親孝行の丞内は、美濃の守に任ぜられました。